オーナーです。今回のテーマは「北天の雄、アテルイとモレ」です。
先週のブログの続きです。清水寺に行った時「音羽の滝」からの帰り道に「阿弖流為と母禮の碑」を見つけました。以前は無かったはずで、調べてみたら1994年(平成6年)に建立されたのだそうです。前日ここで慰霊祭が行われたらしく岩手県人会や関西アテルイ・モレの会の立て札が見えました。
皆さんは阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)をご存知ですか?
私が東北地方に興味を持つようになったのは25年ほど前に初めて青森を訪れたのがきっかけです。三内丸山遺跡を見学して衝撃を受けました。およそ5000年前に栄えた縄文時代中期の集落で、優れた文化を持っていた事が判ります。中でも縄文ポーチはデザインも良く複雑に織られていて縄文人=原始人などと考えていた自分の間違いに気づきました。縄文時代、東北地方は今より遙かに温暖で、人々が豊かに暮らし当時の人類としても非常に高い文明を誇っていたようです。
そこからアテルイの時代(奈良時代)まで数千年の時が流れますが、東北地方にはその縄文人の子孫、高天原からやって来た弥生人とは違う文化、文明を持つ民族が居たのです。その人達を朝廷は「蝦夷(えみし)」と呼んで、武力によって征服しようと試みました。蝦夷の頭領の名は「アテルイ」副将は「モレ」。朝廷は多賀城を拠点として数万の兵士で幾度も攻め込みますが、胆沢の地形、気候を知り尽くし知略に長けたアテルイ達にことごとく敗退します。中でも789年の「巣伏の戦い」で蝦夷軍1500に対し朝廷軍は6000人が挟み撃ちされて逃げ場を失った多くの兵が川で溺れ死ぬという歴史的な大敗を喫します。しかし27年間の永きに渡る戦いで疲弊する仲間達に心を痛めたアテルイとモレは802年ついに坂上田村麻呂の軍門に自ら下っていきます。田村麻呂は二人の武勇をたたえ、東北平定の役人への登用を朝廷に願い出ましたが公家達の反対にあい、二人は河内国で処刑されます。二人の処刑された場所は特定されていませんが、そのひとつとされる場所(首塚)が私の自宅近くにあり何かご縁を感じます。
この話は高橋克彦氏が「火怨 北の耀星アテルイ」と云う小説にされ、吉川英治文学賞に輝く名作です。是非ご一読下さい。本作は2013年BS NHKでTVドラマ化されました。2015年には松本幸四郎さんが「歌舞伎NEXT阿弖流為」を上演され私も見に行きました。
アテルイとモレの話は私の年代は日本史の中に出てきませんでしたが、最近は書かれているそうです。時の権力者目線の歴史記述から徐々に客観的な史実を記すようになった一例といわれています。朝廷にとって二人は逆賊かもしれませんが、地元の人達(子孫)にとっては命を懸けて郷土を守ろうとした英雄です。だから1200年以上も経った今でも二人を慕う人は多く、清水寺で慰霊供養が行われるのです。オーナーはいつの日かNHK地上波の大河ドラマで登場するのを心待ちにしています。
「京の紅葉狩り」の余談でした。
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