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オーナーです。今回のテーマは「七夕伝説」その2です。
交野市のゆるキャラ「おりひめちゃん」
牽牛石の観音山公園から直線で約4キロの所に機物神社があります。我が家からも車で10分ばかり。今年はどんな様子か見に行ってきました。機物神社のご祭神は天棚機比売大神(あまのたなばたひめおおかみ)です。日本で唯一、織姫様を祀っている神社と聞いています。

例年あまたの笹で賑わう境内(左)も今年は右の写真のような有様です。宮司さんとお会いしてブログの話をしたら「今年は絵にならしませんで」と淋しそうでした。

私の住んでいる周辺(大阪府枚方市南部~交野市にかけての丘陵地帯)は平安時代 交野ヶ原と呼ばれ、大阪平野がまだ殆ど海だった頃から陸地でした。京阪電車の香里園駅周辺の土地の段差は昔の海岸線だそうです。カムヤマトイワレビコ(神武天皇)一行が大和を目指して上陸しようとしたのもこの辺りで、ナガスネヒコの逆襲に遭って退散したんですね。

 生駒山系から淀川(古代は大阪湾)に向かって交野ヶ原を横断するように、そして偶然か必然か牽牛石と機物神社の間に「天野川」が流れています。そもそも交野は天野川流域の「潟野」が語源では無いかと云う説もあるほど水量豊かで甘い(おいしい)作物が取れることから特に川沿いを甘野、川を「甘野川」と呼んでいたそうですが、平安時代の宮廷歌人が夜空の天の川になぞらえて歌を詠んだことで「天野川」が定着したとされています。

この地には古代から多くの渡来人が住んでいて、稲作だけで無く様々な技術を伝えました。平安時代、ここの連長(ムラジオサ)を任されていたのが秦氏で、古い地名には秦田(現在の津田)、秦者(現在の倉治)などが見られます。
秦氏は養蚕布織の技術があり「秦者の社(寺)」が機織りの「機物神社」に転じたと言われています。天の川伝説と結びついて「秦」=「ハタ」=「機」になったようです。


天野川には織姫が一年に一度、彦星と出会う「逢合橋」や二人を取り持つ「かささぎ橋」があります。星田、星ヶ丘と云った地名があり、北斗七星が落ちてきたと云う星田妙見宮も近くでまさに七夕伝説の地と言えるでしょう。七夕の夜がお天気だったら「逢合橋」で出会う二人の姿が見れるかもです。

ついでながら枚方市駅から徒歩で行ける天津橋に七夕にちなんだモニュメントがあります。枚方出身の川崎麻世さんのデザインした「しあわせのモニュメント」です。インスタ映えするので是非行ってみて下さい。

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